手放したとき、はじめて見えてくるもの
今回は、MBSR(マインドフルネス・ストレス低減法)のトレーニングをつづけながら、体験的に何となく分かってきた「心の態度」について、少し紹介させていただければと思います。
※MBSR(マインドフルネス・ストレス低減法)とは、8週間を通して瞑想やヨガを実践し、ストレスやつらさとの向き合い方を学ぶプログラムです。自分の心身に気づきを向け、人生とのよりよい関わり方を育んでいくことを目指します。
「手放す」という言葉に、最初は少し戸惑った
MBSRの「7つの態度」の中で、私がとくに心を引かれたのが「手放す」ことです。
ただ、最初にこの言葉を見たときは、少し戸惑いもありました。手放すというと、どこか「諦める」「関心をなくす」「大事なものを捨てる」といった印象があったからです。
けれど、学びを深める中で、ここでいう「手放す」は、そういう意味ではないのだと少しずつ分かってきました。
むしろそれは、「そのままにしておく」ことに近いかもしれません。
無理に変えようとしないこと。握りしめているものに気づき、少し力をゆるめてみること。
受容や、努力しすぎないこととも深くつながっている態度です。
印象に残っている例え話があります。
ヤシの実の殻の中にバナナを入れ、猿が手を入れてつかむ。
真っ直ぐな手なら抜けるのに、握りこぶしにすると抜けなくなる。
猿はバナナを手放せば自由になれるのに、それを握りしめているがゆえに捕まってしまう。
そんな話です。この話は、他人事ではないと感じました。
私たちもまた、何かを握りしめることで、自分から不自由になっていることがあるのではないか。
そんな疑問が、瞑想の実践をつづける中で少しずつ自分の中に現れてきました。

日常の中に、「執着」はたくさんあった
そのことを、私は日常のいろいろな場面で実感しています。
たとえば、家の中の片づけです。
思い出の品や、いつか使うかもしれない物をなかなか捨てられず、クローゼットや棚の中がごちゃごちゃになっているのを見ると、それだけで少し気持ちが重たくなります。
見て見ぬふりをしていても、そこに「片づいていないもの」があるだけで、心のどこかが引っ張られている感じがするのです。
けれど、思い切って断捨離をして、リサイクルショップに持っていくと、不思議なくらいスッキリします。
ただ部屋が片づくだけではありません。自分の内側にまで風が通るような、そんな感覚があります。
物を手放しただけなのに、心まで軽くなる。
この感覚は、「手放す」がただの損失ではなく、スペースを生み出す行為なのだと教えてくれます。

仕事でも似たような経験があります。
以前は、「自分にしかできない」「自分が頑張らなければ回らない」と思って、必死に抱え込んでいた仕事がありました。
ところが異動などでその場を離れてみると、他の人が案外ふつうに、しかも軽やかにやっている。
その様子を見たとき、「なんであんなに執着していたんだろう」と、少し笑えてしまったことがあります。
もちろん、その時その時の努力には意味があったはずです。けれど同時に、「これは自分が握っていなければならない」という思い込みも、かなり混ざっていたのだと思います。
手放してみて初めて、握りしめていた自分に気づく。
そんなことが、私たちには案外多いのかもしれません。

瞑想で見えてきた「泥水をかき回している自分」
リトリートを経験して、私はこの「手放す」ということを、もう少し体験的に理解できた気がしています。
瞑想の実践の中で、心の状態はよく「澄んだ水のボウル」に例えられます。
水が澄んでいれば、底までよく見える。
心も同様に、スッキリ感と、クリアに見える感じがあります。
けれど残念なことに、私たちの心はさまざまなことで濁りつづけます。
欲求は水に色をつけ、
怒りは水を煮え立たせ、
無気力は海藻のように動きを止め、
不安や心配は水面に風を立て、
疑いは泥水のように視界を奪います。
私はこの話を聞くと、いつも「コップの泥水」のメタファーを思い出します。
泥が混じった水も、そのまま静かにしておけば、泥はやがて底に沈み、水は自然と澄んでいく
でも、早く何とかしようとして、すくったり、かき回したり、揺らしたりすると、泥はいつまでも漂ったままである
日常の自分を振り返ると、まさにこれと同じことが心の中で起きていたように思います。
実は、坐る瞑想をしていたときに、何度も何度も浮かんでくる考えや感情がありました。
静かにしたいのに浮かんでくる。呼吸に戻ろうとしても、また浮かんでくる。
そのたびに私は、「どうにかしたい」「消したい」「静かにしたい」と、心の中で何度もそれをこねくり回していたのだと思います。
でも、それがかえって思考の泥を舞い上がらせていた。
苦しめているのは、その思考そのものだけではなく、それを何とかしようとして格闘している自分の反応でもある。
そんなことに、瞑想の実践の中で少しずつ気づかされています。
瞑想中に現れる妄想的な思考は、確実に自分を苦しめてくる。
とはいえ、実は全く力は持っていない。
たとえば、妄想をトラに例えると、エサ(更なる思考)さえ与えなければ、自然と消えていくのだから。
なるほど。
「そのままにしておく」
言葉にすると簡単ですが、実際にはとても難しい。
けれど、何かを無理に追い払おうとするのをやめ、
「今、こういう思考がある」
「今、不安がある」
「今、ざわついている」と、
ただ気づいていると、少しずつ水が落ち着いてくる瞬間があります。
自然にクリアになっていく時間を、自分が自分に与えることができるのだと実感しつつあります。

手放すことは、失うことではなく、自由になること
この学びを通して、今の私は「手放すこと」を以前よりずっと前向きに捉えられるようになりました。
手放すことは、何かを捨てることではなく、がんばって握りしめていた手をゆるめること。
思考や感情、役割、物、人間関係に対して、「こうでなければ」としがみついている自分に気づくこと。そして、それを少しだけゆるめて、そのままにしてみること。
呼吸も、そのことをいつも教えてくれます。
息を吸ったら、吐かなければなりません。吐かずに抱え込んでいたら、次の呼吸は入ってこない。
手放すことは、失うことではなく、新しいものが入ってくるスペースをつくることなのだと思います。
マインドフルネスでは、快・不快にかかわらず、「今ここにあるものに気づき、やさしく受けとめる」ことを大切にします。
そう考えると、怒りも、焦りも、疑いも、ただの邪魔者ではありません。
それらは、「この先に敏感さがあるよ」「まだ触れられていない痛みがあるよ」と知らせてくれるサインでもあります。
自分の中に現れたサインを、自分を深く知るための入口としてそっと受けとめ、呼吸とともに、やさしく手放してみる。
そのとき、自分の内側では何が起こるでしょうか。
新しいものが入ってくるスペースを感じられるでしょうか。
瞑想尽くしの毎日を送る中で、私は以前より少しだけ、「何とかしよう」とする癖に気づけるようになった気がします。
すぐに変われるわけではありません。けれど、自らかき回し続けていた手をいったん止めること、そのままにしておく時間を意識的につくることの大切さは、以前よりもはっきり感じています。
手放すことは、どうやら敗北ではないようです。
それは、澄んだ水が戻ってくるのを待つような態度であり、解放と自由への入り口のように思えます。
そしてそのクリアなスペースに、新しい気づきや自分への理解が、優しく入ってきてくれるのだと思いました。
今回はかなり哲学者気取りでしたかね・・・
2027年1月から、IJSセンターのサービスとして、MBSR(マインドフルネスストレス低減法)を体験できるグループをスタートしようと考えています。
支援する人/支える側の人たちのご参加を呼びかけるつもりです。
支援者のみなさんが、ストレスとの関わり方を変える時間として、穏やかな、落ち着いた態度で、このやりがいの大きい対人援助の仕事を、長く続けられるキッカケにできたらと考えています。
ぜひ一緒に、ストレス低減の取り組みを進めてみませんか。
ご興味をもっていただけたら幸いです。
それでは、アディオス・アミーゴ

国家資格:公認心理師・精神保健福祉士・社会福祉士・介護福祉士
その他:SE™プラクティショナー(トラウマ療法)/USPTベーシックレベル/ TFT初級アルゴリズム/TSM(トラウマセンシティブマインドフルネス)修了 /現在、MBSR(マインドフルネスストレス低減法)講師養成トレーニング受講中
