権利擁護について考える

こんにちわ、ヒューマンリソース推進室の若林です。
 
今回は虐待について考えてみます。
 
日本の福祉は長らく支援者の人柄や熱意に頼ってきました。
私もよく人に、
『大変な仕事をしていて偉いね。』
『大変な人を面倒見て偉いね。』なんて言われます。
 
大変な人?大変な仕事?選んだ仕事がたまたまそうだっただけなんですけどね。
 
まあ、好きでやってはいますが・・・・・・
世間はそんな見方をするものです。
この仕事は偉いなんて思うと危険ですよ。
勘違いしちゃいますからね。

 
私は福祉に長らく携わっていますが、虐待なんてものはそんな心の中にあるのではないかなと思っています。
 
虐待研修なんか行くと、
お決まりの身体的虐待、精神的虐待、経済的虐待、性的虐待、ネグレクトなんてやりますが・・・・・・
 
いつも
『なんで今更そんな当たり前の事?』って思います。
そして嫌な気分になります。
 
自分たちが暮らす一般社会の中で人にそんなことをしてはいけないのは当たり前ですよね。わかりきったことですよね。
もちろん社会には刑法、民法はあります。でも人はモラルや良心を持っていますよね。
 
健常者同士で当たり前にやらないことを、なんで障害者の場合はあらためて定義しないといけないのですか?
弱い立場だから?
 
他の人に何をしてはいけないか?そんなの普通に教育を受けていればわかりきっていますよ。
 
でも現実は虐待がたくさん存在していますよね。未だにニュースで見たり、耳にしたりします。

 
『障害者を下に見ていませんか?』
 
私は虐待とは支援者の心に原因があると考えています。
いけないことがわからないのではなくて、障害者だからしてもいいと思っているのではないかと思います。
いけないことを並べ立てて仮にそれを守れたとしても、心で見下していたら利用者は屈辱を感じます。重度だとわからないなんて言う人もいますが、重度ほど敏感ですよ。
 
より困難を抱えていますが、健常者でもそれぞれ困難は抱えています。困難を抱えているのは誰でも一緒だと思います。ただその大きさが違うので、手助けが必要は人もいます。
私は、してはいけない行為に着目するだけでは虐待に対する対策として不十分だと思います。虐待をする人はわからないからしているのではなく、人として同等に考えていないから出来るのだと思います。

 
『同じ人として、もっと利用者と真正面から向き合おうよ。』
 
少なくとも私たちの法人ではもっとレベルの高い議論がしたい・・・・・
私たち支援者は障害という困難を抱えた人に対して、当たり前に生きていく手助けを専門的な観点から提供していく必要があると考えています。