今子供達に必要な支援を考える

こんにちわ、SHIPヒューマンリソース推進室の若林です。
 
今回は私なりに今必要な支援について考えてみたいと思います。
最近は児童の支援にかかわることが多いので、子供たちの置かれた環境について考えることが多くあります。
児童の支援をしていると成人の支援に比べ、良くも悪くも変化が大きく感じられます。
しばらく前に事例を伺いました。高校生の女子で学校では問題行動が多く学習は困難な状況でした。TTAPによるアセスメントでも不合格がほとんどでした。いわゆる強度行動障害と言われる事例です。しかし、中学生の頃とったTTAPの評価では現在より高い結果が出ていました。そこから考察し、本人に遭った構造化を図ったところ各段状態は改善したとのことでした。実際の映像で、再構造化を繰り返すことで行動がスムーズになっていく様子が確認できました。
 
 さて、「どういうことでしょうかね?」
 
私は強度行動障害という言葉が嫌いです。
そもそも強度行動障害とは必ずしも医学による診断から定義されるものではありません。
行動する上で直接的・間接的他害、自傷が日常的に出現し、著しく処遇困難という行動的に定義された問題のある人ということですよね。

 本当にそうですか?
 
理解のない社会と支援者が、そしてその環境が行動障害をつくっていませんか?
 
2001年WHOのICDIHの障害やそれによる社会的不利に着目するところから、ICFでは障害は健康状態と背景因子の相互作用と考えるようになりました。
 
活動の制限や参加の制限が障害という捉え方に変わってきているのです。
解りやすく言うと環境が障害をつくる大きな要因となっているということです。
ICFの公表からもう17年が過ぎました。
2006年の国連総会で障害者の権利条約が採択されてから、日本が権利条約に批准するまで8年もかかりました。先進国のはずの日本なのに世界で141番目という遅さです。
日本は変わりましたかね?
福祉は変わりましたかね?
支援者の意識は変わりましたかね?
 
未だに健常者のやり方を押し付けていませんか?
利用者を理解することは後回しになっていませんか?
 
強度行動障害といわれる成人の利用者には、環境から二次障害として問題行動を起こしているケースがあります。
子供のころから、関われていれていればと思うことが多くあります。

 適切な環境とは何でしょうか?
 
個々に適した環境とは決して画一的に提供するものではなく、個々を知らなくてはできません。
 
利用者を理解する前に支援者のやり方を正しいことと考えて押し付けていませんか?
 
子供の支援に携わっていると、今現在の支援がいかに大切か日々感じます。
 
今遊んであげればいい。
楽しければいい。
いずれ大人になればわかるから・・・・
 
解りません・・・
そこに発達障害の特性があります。
 
発達障害とは一概に健常者より劣っているのではありません。健常者の社会ルールと環境では能力を発揮しづらい個性を持っているのです。
 
IQが健常者と比べて高いアスペルガーや高機能自閉症と言われる方々でも、環境によって能力を発揮できない状況があります。
逆に環境を整え強みを活かすことで仕事など健常者以上の能力を発揮できることもあります。

 情熱や思いは大事です。
ただ、気持ちだけで専門的な支援は出来ません。
そもそも気持ちや思いがあるのは大前提の仕事です。
それに愛情や思いだけでなんとかなるなら家族がみんな解決できます。
頑張っていることを言い訳に逃げないでください
困難を抱えているのは利用者自身です。
結果と向き合って下さい。
 
今の支援者の関わりが、利用者の未来を決めます。
 
だから利用者をまず理解しましょう。
理解するために勉強しましょう。
適切な個別の支援を提供しましょう。
 
支援する一つひとつの積み重ねが利用者の将来の選択肢を広げることになります。